クラスメソッドで12年前にフリーランスから社員になったワイが当時の状況や文化をふりかえってみる
はじめに
プロパゲートの深澤です。ワイ(以降”私”)がフリーランスとしてクラメソッドにたどり着いてから15年以上が経ちました。各社の開発現場を転々としていた私がこんなに長く居ることになるとは全く思っていませでした。今日7月7日が創立記念日でクラスメソッド20期突入おめでとう!のダブルおめでたな日。”ワイが”シリーズ5作目。今回はクラスメソッドにとっても私にとっても、日本にとっても大きな転機となった2011年前後をふりかえってみます。
ワイがシリーズ
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クラスメソッドの状況
飯田橋のオフィス
高田馬場から引っ越してリノベーションした飯田橋の綺麗なオフィスに入っていました。社員数は40名前後でした。トレイも綺麗かつ人数に対して個室が少なく、長居しがちなせいか、緊急事態時に待ちが発生してとっても困ることがありました。
Flexとメンバー
引っ越したものの、なかなか席は埋まらず、むしろ減っていくような状況でした。というのも当時、一次請けで持ち帰りの受託開発をメインの事業としていて、主に(当時の)Adobe Flexを使った開発案件で業績を伸ばしていましたが、新規事業の投資と撤退で損失を出したり、Appleのスティーブ・ジョブズがモバイルデバイスにFlashプレーヤーを搭載しないことを発表し、AdobeがFlex SDKを手放し、クラスメソッドとしても早々に新規にFlex案件を取らない決断をしたのです。そこで技術的に合わなくなったり、業績が悪くなったせいか、それまでは退職者がごく少なかったのが、この時代は人が多く辞めていく寂しい時期でもありました。
あんなに力を入れていたFlexをさっと見切ったような合理的で早い判断は最近あって、コロナ禍に入った直後の2020年1月にはリモートワークを推奨し、オフィスを早々と解約して、コロナが収まったらすぐに新オフィスを契約しています。この辺の判断と行動の早さが気持ちよい事も私がクラスメソッドを好きな理由の一つです。
Flexの次は‥
早く撤退を判断したのは良かったのですが、次に何に注力するのは迷っていたように見えて、Windows Phone 、Android、iOS、Kinnect、HTML5、ソーシャルゲーム、そしてAWS‥ など人や時期によって主に技術カットでの様々な試みがありました。Windows Phone自体が撤退、iOSアプリ開発は後に専門の部署を立ち上げ、そしてAWSは東京リージョンが震災の直前、3月2日に開設しました。東京リージョン開設前から何個かのプロジェクトではAWSを利用していて、100msec以上のレイテンシーがあることを確認してたことを覚えています。まだ何が次の大きなビジネスになるのか見えない状態でした。私はHTML5のソーシャルゲームやAndroidアプリの開発をしてました。特にこの頃、毎度新しい事をやってた感じです。
今に繋がる文化
カンファレンス
最近でもre:Inventに100名弱が参加したり様々なカンファレンスに行って現地の熱を感じてブログを書いてますが、当時からAdobe MAXに多くの社員が参加していました。
アウトプット
Webや紙の技術系メディアに記事を書いてる人が結構いました。現在も書籍で連載を持つなど、アウトプットが盛んです。DevelopersIOが生まれたのは2011年の7月でした。当時一番多く投稿して行動で背中を見せてたのは社長の横田さんで、後からできたClassmethod Leadership Principleにもなっている、情報発信/リーダーシップ/やってみる にも繋がってます。
コミュニティ
社外のコミュニティへ参加してる人も多くいました。当時FxUGというFlex のユーザーグループを立ち上げたのが横田さんで、その繋がりで働いている人も多くいましたし、クラスメソッド自身も勉強会を開催していました。例えば当時のメールを見ると2011年4月には 「CLASSMETHOD 春の集中講座」vol.3 ~クラウドがデファクトになる日~というタイトルで勉強会を開催していました。DevelopersIOもまだ生まれてない時期にこんなタイトルでやっていたとは‥。そういった成り立ちのせいか、社内でも勉強会や読書会も当時から度々開催されていましたし、今でも盛んです。私は当時社外のコミュニティには参加してなかったのですが、社内でアジャイルサムライ読書会が開催されて参加してみたのが、後のよいきっかけになったのかもしれません。最近入社された人からも、コミュニティみたいな会社ですね、という感想を聞いたりします。
エンジニア
当時から特にエンジニアを大事にする文化がありました。例えばディスプレイはどんどん大きくなってデュアルディスプレイが標準、起動ディスクはSSDに換装、椅子は肘付きのバロンチェアなど、業績が悪くなってなかなか買い替えが進まない時期はあったかもしれませんが、元々のスペックが良かったので、マシンに不満を持つ事はありませんでした。速いマシン、大きなディスプレイ、長時間座る椅子は気持ちよく働けて生産性を上げる、という合理的な考えだったはずです。また開発現場が信頼されてた感があり、当時からだいぶ自由に仕事ができていました。
大きな目標
年商数億の頃から100億にする!とか言っていいて、10年経たずに達成するとは‥です。私はこの会社はよく”先に大きな服を来てそれに合わせるように成長していく”みたいなイメージを持っています。今も全くそうですね。
当時の私
震災当時の私も転換期で、初めての子供が生まれ、フリーランスから社員になり、エンジニアやプロジェクトリーダーをしていました。良くも悪くも、会社の業績よりも参画してる目の前の案件の世界の方が大事でどっぷり浸かっていたので、そこで楽しんで給与がもらえてるうちは、やめる気は全くありませんでした。ゴールデンウィークを何度か潰して、その時の仕事中にかかっていた、ももクロにど嵌りしたりもしました。仕事の進め方も今よりずっと下手で長時間労働をしてた時期もありますが、楽しい開発現場ライフを味わっていました。
震災の日は、ちょうどお客様先にいて、チームメンバーと大事な会議に出ていました。その途中で大きな地震があり、天井から白い粉が降ってくる事態でしたが、プロジェクトが大事な局面を迎えていたため、会議は継続され、終わってからも「地震すごかったねー、ところで‥」なんて地下にあった喫茶店でプロジェクトの作戦会議をしていました。駅に着いて電車が全く動いてない事で、地震の影響が想像以上だったことに気付くのでした。当時のメールを見返して思い出しても、これで良く生きてたなと思いますね。
今日はここまで
ということで、当時のメールと記憶を頼りに私が思い出せる限りの当時のクラスメソッドの状況をお伝えしました。その後、ビジネスの中心がモバイルアプリ開発になり、そしてAWSになり、クラスメソッドとDevelopersIOが大きく発展してきました。
この会社は、昔からもっと良くなろうとするところがあって、組織やビジネスやオフィスや人や評価や文化も、固定化せずにずーーっと変わり続けています。変わらない部分も沢山ありますが、数年前を思い返すと、常に新しい景色になったなーと思います。そんなクラスメソッドが大好きで、もはやキャリアのほとんどをここで過ごして、様々な経験をさせてもらっているのです。
そうそう
そうそう、元フリーランスのワイは今は子会社のプロパゲート株式会社でCMパートナーズという、フリーランスと事業会社を仕事で繋いで、お互いにとっての良い出会いを手助けをするという、尊い仕事で貢献しています。気になるフリラーンスの方はご登録またはDevelopersIOで”クラスメソッド会社説明会 フリーランスエンジニア編”に参加してみてください。 社員として働きたい方はこちらです。一緒に新しいクラスメソッドを作っていきましょう!